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生きるのに必要なことは栄養だけじゃない。芸術という【こころの栄養】が必要

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生きるのに必要なことは栄養だけじゃない。芸術という【こころの栄養】が必要

生きるのに必要なのは、衣食住だけとはいうけれど…本当にそうなのか?

 

衣食住だけじゃない、人間は幸せになるために他にも必要なことがあるんじゃないだろうか?

 

こんな疑問にお答えします。

 

この記事を読むメリット

人が生きて行く上で必要なことの中には、【こころの栄養】があります。それがなぜ必要なのかが分かります。

 

芸術とは全く無縁の環境に生まれながら、芸能界を目指し、演劇や美術、音楽などに触れる機会が多くあった僕が解説します。

 

この記事を読むと得られること

 

衣食住のみに価値を見出すわけでなく、こころを豊かにして生きることを大切にできるようになります。

 

知っていて損はないし、知っていれば得をする知識が得られます。

 

生きるのに必要なことは栄養だけじゃない。芸術という【こころの栄養】が必要

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Photo by Eric Ward on Unsplash

今のご時世、「先が見えないから必要最低限の物を揃えて、衣食住がまかなえれば生きていけるからそれでいい」なんて思っている方、増えて来てるんじゃないでしょうか?

 

果たして本当にそれでいいと思ってますか?

 

もし本当にそれだけでいいという方には、時間の無駄になってしまう内容なのでごめんなさい。ここまででお引き取りください。時間を奪うことになり申し訳ありません。

 

そうじゃないと少しでも思っている方は読み進めてみてください。この記事の題にもしたとおり、人が生きるには栄養だけでなく、こころの栄養が必要です。

 

なぜならば人間は動物と違い脳が進化しているので、ただ栄養を摂取し、体を動かし、睡眠を取るというような人として最低限度の生活を送るだけでは、決して心からの充足感は得られないからです。

 

じゃあどうすればそれが得られるのか?

 

結論、芸術に触れましょう!

 

この世の中には先人の残した素晴らしい音楽、演劇、絵画、本、映画などが溢れています。これを味合わずに人生を送るなんて…人間としての楽しみを満喫せずに、動物として本能のままに生きて朽ち果てるようなものです。

 

そんなことでいいんでしょうか?せっかく人間に生を受けたからには、こういうものに触れる機会があって、生きていてよかった!!

 

そんなんことを感じるような体験をしたいと思いませんか?僕が考える人生の幸せは、美味しいものが食べれること、好きなものを身に付けられること、いい家に住むこと。

 

…といったことだけでなく、心を動かされるような体験を一つでも多くしてから死にたいと思っているのです。

 

物質的な欲求は、達成するとその状態に慣れてしまい、ありがたみを感じなくなります…。

 

しかしながら、心が喜ぶことは慣れることが少なく、自分が好きだと思えることに関しては、いつまで経っても喜びや感動を味わえたりするものなのです。

 

こころの栄養となる芸術は、古来から存在していて、いつの時代も必要とされている

ではここで芸術の起源とは何だったのか?

 

人間はいつから、こころの栄養を創り出してきたのか?そんなことにフォーカスしていきます。

 

有名なのはスペインのアルタミラ洞窟、フランスのラスコー洞窟、ショーべ洞窟にある動物を描いた壁画。約1万2000年〜4万年ほど前に描かれたものだということですが…一体なんのためだったのか?

 

普通に考えたら目で見た景色や出来事を伝えるために書いたのか?なぁ〜んて考えてしまいますよね?

 

ところが…これについては壁画は星座を表し、天体現象を記録するためのものだったという調査結果を発表されている研究者の方がいます。

 

また20年ほど前には、南アフリカで推定年代が約7万5000年前の幾何学模様が刻まれた赤い粘土の塊が見つかったなんて情報があったりと…調べていくと、芸術の起源は本当に遥か昔からあったんだということがよく分かります。

 

ここについては掘り下げるとこの話題だけで100記事以上になってしまいそうなので、この辺にしておくことにします(汗)

 

話を戻しますが…それだけ古くからある芸術は、一体なんのためにあったのか?

 

個人的には原点はコミュニケーションだったのではないか?と考えています。壁画が天文学の発祥だったにせよ、幾何学模様の粘土が見つかったにせよ、それらは動物が見て触れて理解できるものではないですよね?

 

人間は何か言いたいことや伝えたいことがあって芸術を作ったんだと思うのです。

 

その伝えたいことがなんだったのか?その真意までは窺い知ることができないことも多いですが…今日、残っているどんな芸術もそれがあって存在しているのでしょう。

 

人は他の誰かとコミュニケーションを取ることで、自分の存在価値を見いだしてきたのではないでしょうか?

 

始まりは壁画や土の塊でも…発展を遂げ、現代における芸術は様々に形を変えて残っているのです。

 

ちょっと余談ですが…ここでトレーナー小話を一つ。音楽という芸術は、体を緊張させてしまうこともあれば、リラックスさせることもあります。

 

…ということは、クラシックを聴くと副交感神経が優位になり、カラダの緊張がほぐれ、筋肉が伸びやすくなり、可動域が上がります。

 

逆もまたしかりで、ハードなアップテンポな音楽変えると交感神経優位になるってことですね!

 

リラックスしたい時と、ハードにトレーニングする時で、どういった音楽をチョイスすればいいのかは、もうお分かりですよね?

 

自己肯定感なさ過ぎの僕が憧れたのは、映画に出ているヒーローだった…

物心ついた時からコンプレックスの塊だった僕は、自分が嫌いだったこともあり、本を読んで空想に浸ったり…映画を観て、その登場人物に憧れる子供でした。

 

実際の現実は…学校ではいじめられ、家にいても兄弟喧嘩ばかりをして居場所がなく、唯一日々の嫌な現実から逃れることができたのが、自分が物語の主人公になり、空想に浸ることができるときだけだったのです。

 

小学生の頃に親の仕事の都合で転校が何度か続き、都会の田舎〜地方の田舎〜関東の田舎、という土地を転々としました。

 

全部田舎という表現をしたのは、その土地土地で特有の方言があり、それを自分のものにするまである程度時間がかかったのが理由です。

 

その地域の方々が気を悪くされることがないよう、名称は避けておきます。

 

なぜそんな風に書いたかと言いますと…それはその土地の言葉を話すことができないと仲間外れになってしまい、溶け込むまでには疎外感を感じてしまったからです。

 

幼少期からコミュ障で内向的な性格だった僕は、結構ないじめに合っていました…。

 

今の僕を知っている方には、そんなことは想像つかないなんて言ってもらえるようにまでなりましたが、紛れもない事実です。

 

実際は今もそれはあんまり変わらないですけど…仕事では気を張ってますので、そうは見えないようにしているだけです(汗)

 

今思えば…いじめの原因は、当時住んでいた実家の家が古かったことや、見た目の問題がありましたね。

 

小学生時代はヒョロヒョロで大きくもなく、顔つきも幼かったので、上級生からも目をつけられ、同級生からは肉体的なことや経済的な環境のことでも差別的ないじめを受けていました。

 

いじめたほうは覚えていないようなものですが…子供のいじめっておそらく罪悪感を持たずにやっていることが多いと思うのです。

 

そうでなければあんなに酷いことは言えないでしょう…。そう感じるくらいの罵声を浴びせられた経験があります。

 

今でも子供のいじめの問題がニュースで取り上げられたりしているのを見ると胸が締め付けられるような気分になります。

 

生まれ持った身体のことや、経済的な環境のことでいじめられても、子供はどうすることもできません。

 

今の時代なら子供でもインターネットを使ってお金を稼ぐことができる方法があるようですが…

 

僕の小学生時代なんてポケットベルさえなく(今の若い方は存在すら知らないと思います)、パソコンに触れる機会なんて、高学年になってから大きなデスクトップに触れるくらいしかありませんでした。

 

百歩ゆずって周りに比べて見た目が良くなく、経済的に恵まれていなかったとしても…そのことでいじめていいことにはならない。

 

自分の力でどうすることもできないことで差別を受けるのは非常に傷つきます。

 

人と違うことがなんで悪いのか?みんな違ってていいし、それが当然でしょう。生まれや育ちで迫害を受けるなんて言語道断だと…これは今でも強く思っています。

 

よくいじめはいじめている側にだけ責任があるわけじゃないなんてことを言う人も居ますが…もといじめられていた側から言わしてもらうと、

 

「あなたはいじめられた側になったことないでしょう?一度でもそんな経験があったらそんなことは言えないと思いますけどね。」

 

そう言いたいです。

 

所詮、自分が経験したことじゃないと、人の気持ちなんて分かりません。

 

現在のことはそこまで分からないですが…東京に住んでいると、多少は人と違うことがそこまで気にされることがないような気がします。

 

こんなこと言うと反感を持たれるかもしれませんが…僕の子供時代には人と違うことはダメである。というような環境で育ってきた感覚があるのです。

 

人は生まれてくる場所を選ぶことはできません。

 

どんな見た目だろうが、どんな家庭環境だろうが、その人自体を判断する材料であってはいけないのです。

 

ちょっと見た目が良く生まれたとか?裕福な家庭に生まれたとか?だからそれがなんなんだっていう話です。

 

それはあなたが自分の努力で手に入れたものではないでしょう?

 

僕も子供の頃や若い時には、そんな生まれの人を羨んでいたこともありました…。

 

でも今はこう思っています。

 

たとえどんな環境に生まれたとしても、自分の人生を自分で切り開いていけばいいじゃないか?失敗してもそれが経験となって成長できるし、打たれ強くなる。

 

それはこの先も必ず自分を勇気づけてくれる糧となるのは間違いありません。

 

大人になってからは、今の両親のもとに生まれて本当に良かったと思いました。自分の価値観が曲がることなく育ててくれたことに感謝しています。そして自分は幸せな子供時代を過ごすことができたと…。

 

たまに帰省した時にお礼を言ったことがありますが、そんなんことを言ったことがない方には、自分の親が健康に生きているうちに、きちんとお礼を伝えることをお薦めします。

 

そうじゃないと後悔することになると思います。それは親のためというわけでなく、自分のためになります。親が居る方は今のうちに是非そうしてください。

 

居なくなってからだと間違いなく後悔しますので。大事なことなので二度言います。

 

ちなみに僕に対するいじめは…高学年になり、その当時、執拗にいじめて来た奴に対してやり返したところ…終息しました。

 

そして僕がいじめられていた時代にも、本や映画が僕の辛い時期を忘れさせてくれました。

 

当時好きだったのは…【ゲド戦記】と【里見八犬伝】です。映画の真田広之さんがカッコよくてしびれましたね!(おそらく…アラフォーくらいの同世代の方でないと分からないと思いますw)

 

辛い現実を忘れさせてくれたのも、そこに芸術があったからなのです。

 

こころが満たされても、他がダメなら同じじゃないのか?

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Photo by Nick Fewings on Unsplash

 

そう思うのも無理はないです…。

 

僕もなかなかそこには苦労しました。しかしながら…生きて行くのに必要なのは物質的な豊さ以上に、こころの豊さが大事です

 

こんな言葉を遺している人がいます。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから
Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits, for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.
by Mother Teresa

 

マザー・テレサが残した言葉です。

 

全ては思考がもたらしているってことですね。そう考えると…やっぱり、こころを最初に満たすことが重要なのです。

 

【No Art No Life】芸術がない人生なんてありえない

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安伦 李によるPixabayからの画像

芸術=Art  英語表記するとArtです。

 

Artというのは個人個人で捉え方が違うと思うのですが…それでいいんです。

 

肝心なのは自分のこころが満たされるものであるということ。

 

絵画であったり、本であったり、映画であったり、音楽であったり、彫刻や建築物かもしれません。

 

自分のこころが満たされるものがあることって、それがあるだけで人生が豊かになります。

 

僕の場合は、本や映画の世界に憧れたのがきっかけで芸能の世界に憧れを抱き、ひたすらにそこを目指していた時代がありました。

 

スクリーンに映っている俳優に魅せられ、自分が演じる側になってみたい。

 

映画の中で物語の中に生きていもる俳優になれば、自分の生きた証をそこに遺すことができるなんて考えていました…。

 

今思えば、承認欲求の塊ですね(笑)

 

結局10年くらい費やして映像の中に残ったのは映画の端役とドラマの端役で台詞は一言二言だけ。

 

芝居の勉強も文学座という老舗劇団の研究生〜海外で活躍する演出家のワークショップ、タレント養成所などなどやりましたが…、結局、役が付いたのは舞台だけで終わりました。

 

それでも全く知らなかった演劇の素晴らしさに触れたことは、今後の人生を歩んで行く上で非常にいい経験でした。

 

それでは自分のキャリアの証拠として僕の俳優としての引退作となった舞台のフライヤーを載せておきます。

 

 

芸能の世界を目指したことで、観るだけだった世界が演じる側の立場になり、僕のArtは本や映画だけでなく演劇の世界を知り、広がりました。

 

シェイクスピアもまともに知らなかったところから…チェーホフ、テネシーウィリアムズなどの戯曲を読み、舞台観賞し、自分のArtが変化したのを覚えています…。

 

演劇って本当に奥が深いんです。その戯曲が書かれた時代背景やら、国の情勢など様々な要因があって生まれていることが多く、社会風刺の意味が含まれていたりもしますし、非常に勉強になりました。

 

触れる機会がないとなかなか知ることがないことですが…まだ経験のない方には、ぜひ一度、舞台観賞をされることをお薦めします!

 

いい作品を観劇されると、きっと世界が広がりますよ。そしてその経験は無駄にはなりません。

 

なぜならば、先ほど申し上げたようにArtの原点はコミュニケーション。今の僕は芸能の仕事には就いていませんが、目上の方と話をするときに、そういった知識や経験があると話が分かり、役に立つことが多いです。

 

それに今も語り継がれているような名作という作品は、いつの時代にも共通するような問題を投げかけていたり、教訓となるようなものがあったりするものですから。

 

そうでなければこれだけ凄まじい速度で変化を遂げていく時代の中で、人に必要とされ、残っていく訳がありません。

 

それは演劇に限らず、音楽でも、絵画でもArt全般に言えることです。

 

芸術は生きて行くのに必要な栄養です

まとめ

  • 生きていくのに必要なのは身体の栄養だけでなく、芸術という【こころの栄養】が必須である
  • 古来からコミュニケーションをするために芸術は存在し、必要とされていた
  • 芸術は時として自己肯定感を上げてくれ、人生に希望を与える
  • 大切なのは何よりもまず、こころを満たすことである
  • 芸術(Art)がなければ生きていけない

 

以上のことを踏まえて、芸術は生きていくのに必要不可欠です。

 

人間は身体の進化だけではなく、脳が進化したことによって、発展を遂げた生き物ですから。

 

身体の栄養はもちろんですが、こころの栄養をしっかり摂って生きていきましょう!!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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